Monday, September 07, 2015

税金の無駄使い:文科省2

 前回は文科省の役人が自ら導入した政策の失敗を反省せず、その結果、国全体の教育水準または人的資源の質が劣化させられたと指摘した。より酷いのは、文科省の役人がそれらの杜撰な成果に対して平気な顔で国民の税金からなる財源を無駄に使ったことも一向に反省しない。その行為の繰り返しで、同じ役人の連中は全国にある86国立大学(独立行政法人というが形式的なものである)に対して環境変化の対応という名のもとに改革を行うこととなった。

 その改革自体は大した内容ではないが、市場原理に従えば、個々の国立大学は自ら変革を取り組まざるを得ず、何も一々役人からその方向性を示す必要はない。役人は予算を供するという手段で国立大学を牛耳ている。今度の改革案では役人は3つのカテゴリを作り、各国立大学に一つのカテゴリを選ばせた。

 3つのカテゴリーとは、「人材育成や課題解決で地域に貢献し、特色ある分野で世界・全国的な教育研究を行う」、「特所ある分野で地域というより世界・全国的な教育研究を行う」、「海外大と伍して、全学的に卓越した教育研究を行う」、である。納税者からすれば、そのカテゴリーの中身の違いは全く区別できない。役人は高等教育研究だから国民がその区分が理解できなくてもやむを得ないと勝手に決め込む。さらに彼らはこのように分類すれば、個々の国立大学が国の将来を担う人材、そして地域、国、世界の発展に貢献し、ならびに世界競争に間違いなく勝ち抜くことができるので、私達に任せて下さいと平気に思う。

 しかしながら、真の競争もなく、役人の「手」で国民や国のためになるという発想だけで、国立大学は進歩(progress)すると考えにくい。各カテゴリーの名称の如くそれぞれの大学が事前に決め付けるのは如何かと思う。ますます変化が激しくなる経済社会の環境に対して柔軟性、機動性、創造性、対応・適応性等が常に求められ、アプリオリに各大学の役割と能力を設定するのは無駄である。残念ながら、そういうロジクは役人に通用しない。彼らの本心は如何に予算を獲得するだけのことにある。この改革の取り組みに、文科省は2016年度の一般会計に400億円の予算も計上したと報道された。国の借金が一世代にかけても返済できないのに、その無駄を平気にする文科省の役人はどうしようもない。その歯止めは目利きのできる政治体制に喫緊に転換することを祈りばかりである。

 このような無駄は他の省庁でも起きている。財政赤字の削減はやはり数億 から数百億単位の効果のない政策から始めるべきである。「積もれば山となる」とあるように、役人の無駄使いを少しでも止めさせれば、国の借金も確実に減っていく。それはゆっくりではあるが確実に成果が出る。

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