Saturday, September 05, 2015

税金の無駄使い:文科省(1)

  9月4日に「予算 増が止まらない」と題する政府支出の増加を指摘した。多くの国会議員は財政赤字の削減に関心を示さないのみならず、その拡大はやむを得ないと容認する態度を見せている。より深刻なのは、霞が関の官僚と共にこの国をより良くするために、様々な手当てをしなけれならないという名目で、税金を無駄に使っており、その無駄は今後もさらに多くなる。1つの投稿にはその無駄の例を紹介仕切れないので、今回は文部科学省を当てることにする。

 文科省の役人は日本の教育を最も真剣に考えると自負している。彼らは絶えず国民の教育レベルの向上に多くの政策実施に政治家を取り入れ、予算を獲得してきたのである。日本の教育財政支出の対GDP費はOECD加盟国の中で低いランクにある。文科省の役人がそれを理由に、より多くの予算を教育部門に充当するよう様々な形で財政資金を獲得している。この20年間には、ゆとり教育、大学の一般教育よりも専門教育の重視、 国公立大学は大学院を中心にする教育と研究の重点化、法科大学院の奨励等の政策を重点的に行ってきた。その間に投入された資金がもたらした効果は皆無であると多く指摘されている。

 ゆとり教育の結果、大学へ進学する大学生の基礎知識レベルが劣化している。大学の一般教養課程の廃止によって教養水準が低い大卒者は多く社会に送り出されている。同時に、低い教養でタコツボ化の専門家を多く育成し、政治・社会・経済などの環境の変化に対応することが出来ず、その結果、能力が伴わない修士号や博士号という高学歴の余剰労働者が堆積してしまっている。さらに、法科大学院が多く設立されたが、教育の質をモニターせず、国家試験に合格できる修了者の比率が驚くほど低い。その結果、多数の法科大学院は教育の質の担保が出来なかったと判明され、廃止を追い込まざるを得ない。のみならず、定員 割れで募集を停止している法科大学院も多い。

 そのように文科省の役人が重点政策という名の下に、当初期待されていた成果を確保することができなかったにもかかわらず、政策立案者等の関連役人は反省をしないのみならず、責任は学校側にあるという態度を取っている。我ら(文科省の役人)の政策が悪かったのではなく、君ら(学校側)の実施能力に問題があり、だから指導・監督しなければならないのだという態度である。

 本来ならば、政策案は代替案を含めて様々な観点、とりわけ費用対効果(便益)から事前評価を耐えたものだけ実施することが鉄則にしなければならない。さらに、実際に実施の過程で適切なモニタリングと評価を行い、計画通りに行かないものは軌道修正を行い、それが出来ない場合に止むをなく中止させるという対応も必要不可欠である。そして、失敗の原因を究明して次の政策サイクルにフィードバックし、同じ間違いを繰り返さない。このようにすれば、財政資源の無駄を省くことができる。

 これは難しい話ではないので、優秀な文科省の役人らは理解することができるはずである。しかしながら、あいにく文科省の役人らは自己都合で政策評価を行わず、さらに国民にも評価させない、否、国民は政策を評価する能力がないので無視して良いと考えているようである。そういう制度の機能不全に陥った文科省にとって、今日は昨日と同じく、明日は今日と同じだと当たり前に決め付けている。それが税金の無駄使いの最大な原因である。



No comments: