Thursday, August 27, 2015

世界株安に思うこと

 人民元の切り下げ、ならびに中国経済成長率の減速、つまり、いわゆるニューノルマの7%というGDP成長率の目標を下回る懸念が高まり、上海をはじめ、東京、香港、シンガポール、欧米諸国の株式市場の指数が大幅に下がった。約1週間の世界株安で、5兆ドル以上の資産が市場から消えてしまったと報道されている。

 株価は企業の将来利益によって形成される。中国のGDP成長率が下がるという見通しの中で、上海株式市場に上場されている中国企業の将来収益も減少していくと見込まれ、よって 株の価値も減ると投資家が判断し、それが株価の調整をもたらしたという図式である。さらに、中国の経済成長率が下がるので、対中国への輸出も減る(あらゆるモノ)ので、関係国の企業収益も減少すると投資家らに見通され、世界株安が引き起こされたのである。そうした中でも、ヘージファンドは非常に短期間(数時間から1〜2日程度)に、そうした 株式市場の状態を利用し、投機的な取引を促し、株式相場の乱高下をもたらした。

 いずれの構図にせよ、世界株安は中国の経済パーフォマンスへの期待が反していることから起因していると言われている。したがって、マーケット関係者は中国当局に適切な政策対応を求めている。確かに相互依存関係がますます強くなってきた世界経済では、一つの国の経済情勢は他の国々へ影響を及びやすい。しかしながら、だからといって今回の世界株安は中国だけが原因ではない。日欧米先進諸国が実施してきた金融の量的緩和による過剰の資金が中国やその他の新興経済諸国の資本市場へも流れ、世界の主要な株式市場の活気をもたらしたこともそもそもの発端であると指摘したい。その結果、高騰してきた株式相場は調整する局面となったのである。

 市場効率仮説によれば、株式市場の取引は完全情報のもとに行われているので、その都度株価が調整され、故に今回の世界株安はまさにその調整メカニズムの一環であるに過ぎない。株価が上がったり、下がったりするのは同然であるが、メディアが声高に叫ぶように、とある国の当局に適切な対応を求めるよりも、株式相場の乱高下を防ぐ政策協調メカニズムを確立することがより大切であると思う。

Thursday, August 20, 2015

経世済民か安保法制か

 2015年4〜6月 期四半期GDP成長率は実質ベースでは-0.4%となり、年率換算すれば-1.6%となった。実質GDPの成長率は前期(2015年1〜3月 期)の1.1%から反落した。日本経済は一進一退の状態が続いている。また、デフレ経済が続いている中で、実質GDP成長率よりも名目値の方が実態に近いと良く指摘されている。名目に沿ってみると名目GDP成長率は0.0%となり、年率換算すると0.1%の成長率となる。名目値においても前四半期の2.2%から下がった。

 2013年より、安倍総理は大規模な金融緩和(アベノミクスの第1本の矢)と機動性がある財政政策(同第2本の矢)を放したが、円対ドルの為替レートは約35%減価し、輸出主導の企業や内需の大企業は大きな恩恵を受け、利益や株の価値も好調となった。これらの果実を従業員にもある程度に還元しているようである(ボナスの増額や賃上げの形で)。しかしながら、それらは期待されているデフレ経済からの脱却、ならびに依然として人々の消費を促すことができないでいる。結局、2年以上のアベノミクスは低迷の経済情勢を上向きにさせることができていないのみならず、大規模の金融緩和は資産価値の歪みをもたらしかねず、このままではより深刻な弊害を引き起こすことを否めない。

 そうした状況の中で、第3本の矢である内外の民間投資が主導する成長戦略を促す規制緩和を喫緊に講じることが求められている。しかし、残念ながら、その矢は中々放されず、幻いの矢であるとすら皮肉されている。安倍総理は曰く「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない必要な自衛の措置」を講じる「安全保障法制」の成立に忙しく取り組んでいる。中国や北朝鮮等の脅威、さらには国際情勢や国際安全保障環境の変化の中で、日本は確かに新たな対策を講じなければならない。しかしながら、憲法学者、元法制局や元最高裁判所判事、さらには国民の多くは「安保法案」は違憲であると指摘されているにもかかわらず、安倍総理はそれの成立に突っ張っている。誠に不可解である。

 戦後70年にわたって平和憲法のお陰で、資源を経済に傾注して世界に誇る国となった。今後もその平和憲法の下に、経世済民を優先すべく、「安保法案」を廃案にしてほしい。少子・高齢化社会において安心と安全に暮らす環境を確立することが何よりも重要である。それを経て政府は日本が取り巻く安全保障に関わる対応の法整備について理解を得るまで丁寧に説明してほしい。とりわけ、憲法の解釈による集団的自衛権を行使するのではなく、個別的、集団的自衛権と集団安全保障を対応することが可能となる憲法改正の国民投票を目指してもらいたい。