Tuesday, March 28, 2006

卒業式の季節(下)

海外出張のため、入学式を迎えようとする時期に「卒業式の季節(下)」を大分遅れて書くことになってしまった。

さる3月24日に福岡県柳川市大和町にあるやまと競艇学校の第98期選手養成員、ならびに第69期審判員・第70期検査員養成員の卒業式に出席した。やまと競艇学校は笹川平和財団のスポンサーである(社)全国モーターボート競争会連合会によって運営されている。選手養成は競艇の新人プロ選手、審判員養成は競艇の公平さ、そして検査員養成は競艇の安全性を確保する競技運営関係者を育てることを目的としている。選手養成コースは1年間でモーターボートの操縦と整備、学科、徳育、メンタルトレーニング、ビジョントレーニング、マシントレーニングという7つの訓練メニューから構成される。また、選手養成員はやまと競艇学校の専任教官から指導を受けると同時に、競艇の現役プロ選手の協力を得て実技訓練の指導をも受ける(主に操縦とプロペラ修整)。

選手育成員はやまと競艇学校で住み込み、授業料や施設費を支払う必要がなく、寮や食事等も提供されている。聞く話によると、一人の選手育成員の平均費用は年間2千万円とのこと。この第98期選手育成コースの応募者数が1,293人(男は1,149人、女は144人)であり、第1次試験と第2次試験をへて、入学者数は39人(男は32人、女は7人)となり、約33の倍率であった。さらに、1年間の訓練が厳しく、それを耐えられなかったり、さらに怪我したりして(モーターボート操縦や模擬レースによって)、脱落した選手養成員が6人(約15%)、結局この第98期卒業者数は27人であった。これらの卒業者は今年の4月より競艇の新人プロ選手として活躍され、初年の年俸は平均して約2,000万円であると言われている。因みに、上位にランクされている競艇選手の年俸は平均3〜4億円であると言われる。これは普通のサラリマンの生涯賃金(約40年勤務)に匹敵する金額である。

やまと競艇学校の理念は「礼と節」であり、それをもとに、選手養成員は上記の訓練メニューをもとに競艇選手の実技を習いながら、人間として礼儀と節度の精神を身に付けなければならない。言い換えれば、競艇選手は礼儀や敬意、躾け、協調性と謙虚性の豊かな人格にならなければならない。選手養成員は1年間に「礼と節」に基づく人格の形成が要求され、しかも話によれば、厳しく指導を受けるようである。


この「礼と節」の教育によって、やまと競艇学校のキャンパスでは養成員や学校関係者全員が元気で明るく、訪問者のみならず、互いに大きな声で挨拶したり、返事したりするという生き生きした雰囲気である。このような雰囲気は通常の大学キャンパス(私が知っている限り)では感じ取れないものである。また、こ卒業証書を授与した式典においても、卒業者から「礼と節」の礼儀や躾等が見事であり、私が教えている大学の卒業式ではそのような雰囲気が失われつつある(他の大学でも当てはまると思う)。少々飛躍的な期待ではあるが、大学の教育は専門知識のみならず、人格形成に欠かせない「礼と節」に関わる指導も導入する必要があるのではないかと思ったりする。

ところで、卒業とは英語では「Commencement」と言い、始まりの意味である。つまり、学校から出て社会人としての歩みが始まることである。このやまと競艇学校の場合は、選手養成員が卒業し、公平かつ安全、そして競争の厳しい競艇業界でプロとして活躍することになる。勝負によって、年間億円単位の稼ぐ選手もいれば、通常のサラリマン並みの賞金しか稼げない選手もいる。場合によって事故で競艇選手をやめざるを得ないケースもある。これは普通の学校を卒業した人達にも同じく、競艇選手の収入との違いはあるが、学校を出て社会の現実の中で、社会人としての人生を歩み、その道程に夢、理想、希望を獲得していくのである。何れの場合、学校の卒業は人生勝負の始まりであり、その結果は少なくとも学習(教育や専門的な技能の修得)に対する投資とそれによる収益によって反映されるものであろう。

Monday, March 27, 2006

Commencement Photo 1

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05年度ラウゼミの卒業生(1部):紹介しておきたい卒業生→車椅子の学生は国枝慎吾君、04年アテネパラリンビック・テニスダブルス金メダル(URL: http://shingo.wct-japan.com/)。国枝君はこの4月より麗澤大学に勤務することになるが、これから仕事と日々の練習、そして国際試合への出場等を重ねながら、08年の北京パラリンビックのテニスシングルとダブルスの両種目の金メダルを目指そうとしている。

卒業式の季節(上)

3月になると、教育部門では卒業式の季節を迎える。私の大学も同様、さる3月14日に学部、大学院、そして日本語別科の卒業式を行った。今回の卒業式に私のゼミから12名の卒業生を出した。なかでも、留学生2名(中国籍)であった。00年4月に私が大学に転職してから、今回の卒業生は5期目に当たる。昨年の場合、留年生が2人いったが、今年では全員が卒業でき、ゼミの担任としてほっとした。12名の卒業生のうち、就職が決まった者が9人、大学院へ進学する者が1人、この4月より専門学校へ進路を変更する者が1人、そして就職が決まっていない者が1人(3月14日現在、役員面接が残っているとのことですが、景気も上向きになってきたことから、採用されると思いたい)。

今日の日本では、経済学の視点から大学での勉学が「投資」か「消費」かについて議論が二分されている。私が大学で教える前に、前者の論者であった(自分がそうであったから)。しかし、大学の教員になってから、我が大学の多くの学生の行動を観察すると、大学での勉学は「消費」であると推論せざるを得ない。多くの学生は卒業に必要最低限の単位を取得し、そのために、出席に煩くない講義や課題が少ない授業とゼミを履修する。また、1年生~3年生にとって、キャンパスに来る時間の多くは同好会や部活、そして仲間との喋りである。キャンパス外の時間は多くバイトに傾注している。4月生になった時点から(なかでも、3年生の後半から)就活に忙しく、授業やゼミに出席する時間が取れず、課題をやる余裕もないのは現状である。出席や課題提出などに厳しくする教員もいるが、彼らの担当授業やゼミを履修する学生の数が少ないという。また、少子化の環境の中で、学生の数を確保するため、カリキュラムでは必須科目の数が少なくなってきており、選択科目が増える傾向にある。

経済学の「機会費用」という概念を考慮に入れれば、人文系の私立大学生は4年間で約2,000万円の費用がかかる。大学に支払う入学金、授業料や諸設備費は4年間で約500万円、生活費(教科書代、通学代、家賃や小遣い等)は平均して4年間で500万円、そして、高校を卒業して、就職していれば、年間250万円を稼げると仮定すれば、4年間で約1,000万円の収入を犠牲することになる。現状では、大学卒の初任給は、業種にもよるが、平均して18万円~20万円になると言われている。このようにか勘定してみると、大学での勉学は「投資」か「消費」かのいずれの行動になるかが明らかになろう。

Thursday, March 16, 2006

ブログ開設にあたって

いよいよ、ブログを開設。00年4月に大学に転職したときから、個人ホームページを立ち上げようと思いつつ、HPの運営が面倒で、結局何もしないままに。このブログに世の中の出来事について自分の考え、旅行の所見等を掲載し、そのコンテンツを関係者と共有するものとしたい。