Tuesday, June 30, 2015

接続性について思うこと

近年、東京近郊の鉄道は都内の地下鉄へ乗り入れるようになった。近郊から都内へ通う利用者にとって利便性が高まったのは事実である。しかしながら、鉄道路線の接続性が増えた反面、ちょっとした事情でも電車のダイヤルが乱れてしまう。とりわけ、休み明けや雨天 に混み合いによってある路線の電車が遅れれば、 同路線と乗り入れる路線の電車も遅れ、それがさらに別の路線に影響を及ぼすという連続的なダイヤル乱れが生じてしまう。または、混み合いによって体調が崩れた乗客があった場合も、乗り入れる路線の電車では遅延がしばしば発生する。

目を国と国同士の接続性に転じれば、よりスケールの大きな問題が起きている。90年代のはじめから情報通信技術の発達に伴い、世界中のどこからどこへでも、陸、海、空の交通がますます便利かつ安くなってきた。そのお陰で、いわゆるグローバリゼーションが推し進められてきたのである。その趨勢の中で、所得が増えた人々は多くなったのに対して、取り残された人々も激増していると指摘されている。つまり、グローバリゼーションによって国内と国家間の格差が一層に深刻化されるようになった。

世界銀行のデータベースから175各国の一人当たりの国民所得に関する格差を試算してみた。ノルウェーの$102,700は最も豊かであり、ブルンディの$260は最も貧しく、その格差は390倍であった。さらに、その指標と人口を用いて試算した175カ国のジニ係数は0.866であり、不平等の度合いは極めて高い。

然は然りながら、国同士の接続性が高まった中で、国境を越える感染病の蔓延も増加している。SARS、新型鳥インフェンサ、エボラ出血病、MERSなどの伝染しやすい疾病は広がったのも国際社会の接続性が高まったからである。人々はいつでも、どこへでも容易く動き回れるようになったのは正に接続性が強化されたからである。光に当てられている所に影があるという表現があるように、利便性が高まれば、マイナス側面も増える。これは人類の世間の現実であろう。

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