Sunday, April 19, 2015

電発再稼動を待った:拍手

筆者は原発反対派である。安部自民党政権は2013年から稼働が止まっている原発施設の再稼働を急がせている。原発反対派は2018年まで衆議院では292議席、参議院では115議席を支配する自民党は原発の再稼動をもはや政治的プロセスで止めることができない状況にいる。

414日に福井地方裁判所が関西電力が再稼働を行う予定であった高浜原発34号機の運転を差止する仮処分の命令を下した。原発反対派にとって朗報であり、今後も司法の判断は政治や行政からの原発推進に歯止めをかける期待となろう。その判決に拍手しよう。

福島原発事故以来、日本国内で原発の使用について賛否が分かれている中で、安倍政権は電力コストや温暖化防止等で原発は効率的なエネルギー源であると主張し、福島原発事故のような事故を再発させないために、原子力規制委員会によって従来より厳格な規制基準をもとに原発の安全確保に関わる基準の審査を通じて原発の再稼動を目指してきた。

原子力利用の安全確保に関わる新基準・規制の審査は中立かつ専門家の知見に基づいて行われている。しかしながら、電子力規制委員会という専門家集団は原発は「絶対安全」であると判断することが極めて困難である。むしろ、「絶対安全」というのは100%の意味ではなく、限りなくそれに近い確率で判断せざるを得ない。

統計学的な観点から解説すれば、歴史的な事実や科学的シミューレションの結果から原発事故が発生する」という帰無仮説を棄却し、「原発事故が発生しない」という対立仮説を採択する例えになるのである。それはしばしば第1種過誤(タイプ1エラー)の判断に陥る。いうまでなく、原発事故という事象を確率的な実験として行うことができないので、「原発事故が発生しない」という帰無仮説が5%とか、1%0.1%とかの有意水準を確認することができないのである。

民主主義の社会では、原発利用は政治的プロセスによって合意形成される。その推進派となる政治家は原発に関する利用およびその利用が絶対安全であることを確保するための基準設定と審査に専門家集団という行政的な判断に委ね、その決定に原発利用の事業者に法的な義務を課した上で、当該事業者は推進派の政治家と共に原発施設を置く立地の地方自治体と当該住民の合意を取り付ける。このプロセスは民主的な手続きを踏まえているに違いないが、原発施設等を置く地域における反対者や万一原発事故が起きた場合に影響を及ぼす立地以外の地域における反対派(政治家と住民を含む)にとって政治的なプロセスにおいて阻止することができない。これは正に原発利用の反対派にとって術がない現実である。

原発事故は自然災害や人為ミスによって引き起こされることが自明であるのに、政治、行政、事業者、そして住民の一部が「絶対安全」や「科学技術万能論」という原理主義的な判断を委ねているのは危険が孕む。また、いわゆる確率的に100%の「絶対安全」を確保できない状況の中でも、0.000000001%(つまり、限りなくゼロ%)の確率で事故が起きた場合にカタストロフィの結果をもたらすことがあり得る。そのような可能性を排除するために、今回の福井地裁の判決は民主主義のプロセスに的を射るのである(福井地裁判決全文)。

当判決に対して原発利用の賛成派から同様に論理的に反論し、しかも原発が完全に止めたら、国民が高い電力コストを負担せねばならないと声高に叫ぶ。原発の廃棄物処理とそれの安全確保に関わるコストを計算に入れれば、原発の電力は決して安くない。それを除けば、短期的にそうなるのは確実である。しかし、国民は原発に誘惑されずに、敢えて省エネルギー行動で、将来よりコストが見合う代替エネルギーの出現を期待すれば良い。国民が省エネルギーの行動に転換すれば原発利用に代わる最も良い対策である。政治家は原発利用の少数なあ利益団体のためではなく、国民の安全かつ原発の代替エネルギーを確実に生成させる技術開発の推進に努めるべきである。

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